10年の漂流の果てに…沖縄「ジョン万次郎 上陸の地」で日本の夜明けに触れる
「いろはとあさきの父」がお届けする沖縄一周旅行、6日目(2024年10月6日)。奥武島で美味しい天ぷらを堪能した後、次に向かったのは、歴史ロマンあふれる場所、糸満市にある「ジョン万次郎 上陸の地」です。時刻は15:30。「ジョン万ビーチ」の愛称で親しまれる美しい大度海岸は、単なるビーチではありません。ここは、幕末の日本に大きな影響を与えた一人の男が、運命の帰還を果たした、記念すべき場所なのです。

壮大な物語の舞台へ
14歳で漂流し、アメリカで教育を受け、10年ぶりに祖国の土を踏んだジョン万次郎。彼の壮大な物語と、日本の近代化の黎明期に触れることができるこの場所を訪れるのを、非常に楽しみにしていました。
この記事で、ジョン万次郎の足跡をたどる
この記事では、私が訪れた「ジョン万次郎 上陸の地」の歴史的背景と、2018年に建立された記念碑に込められた物語を詳しくご紹介します。「歴史が好き!」「ジョン万次郎に興味がある」「沖縄の意外な歴史スポットを知りたい」という方、必見です!

運命の航海:土佐の漁師、ジョン万次郎の物語
ジョン万次郎(本名:中濱万次郎)は、1827年に土佐の貧しい漁師の家に生まれました。彼の人生が劇的に変わったのは1841年、14歳の時。漁船で遭難し太平洋を漂流、無人島「鳥島」で143日間生き延びた後、アメリカの捕鯨船に奇跡的に救助されます。
船長のホイットフィールドは万次郎の聡明さを見抜き、彼をアメリカ本土へ連れて行きました。万次郎はマサチューセッツ州で英語、数学、航海術などを学び、首席となるほどの優秀な成績を収めます。その後、捕鯨船の副船長にまで昇進し、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで帰国資金を稼ぐなど、その類まれな行動力で激動の時代を生き抜きました。
故郷への第一歩:大度海岸への上陸
アメリカで10年の歳月を過ごした万次郎は、ついに日本への帰国を決意。しかし、当時の日本は厳格な鎖国政策下にあり、海外からの帰国は死罪にもなりかねない危険な賭けでした。そこで彼は、世界情勢の知識に基づき、直接本土を目指すのではなく、当時薩摩藩の支配下にあった琉球王国を帰国の足掛かりとして選びます。
1851年(嘉永4年)、帰国のために購入した小舟「アドベンチャラー号」で、ついに日本の領海へ。そして、現在の糸満市に位置する大度海岸(当時の呼称は小渡浜)に上陸を果たしました。それは、アメリカで得た膨大な知識と経験を、開国前夜の日本にもたらすための、歴史的な第一歩だったのです。
記念碑に込められた、万次郎の物語
2018年2月、この地に「ジョン万次郎上陸の地」記念碑が建立されました。この銅像には、彼の生涯を物語る豊かな象徴が込められています。
- 服装:カウボーイハットにベスト、ジーンズという出で立ちは、彼が吸収した西洋文化を象徴しています。
- 右手:まっすぐに水平線を指さす右手は、10年間会えなかった母が待つ故郷、高知県土佐清水市の方向を向いています。
- 左手:左脇には2冊の本が。それは『ジョージ・ワシントン伝記』と航海術書『新アメリカ実用航海術書』。彼が日本にもたらそうとした民主主義の理念と、近代的な科学技術の象徴です。
六角形の台座には彼の生涯を物語るイラスト板がはめ込まれ、周辺のオブジェに至るまで、細部に物語性が追求されています。この記念碑は、訪れる者に万次郎の全生涯を瞬時に伝える、巧みなストーリーテリングの装置なのです。


上陸後、そしてビーチのもう一つの顔
上陸後、万次郎はすぐには歓迎されず、鎖国下の日本で厳しい取り調べを受けます。沖縄に上陸してから故郷の土佐で母と再会するまでには、1年半近い歳月を要しました。しかし、彼が持ち帰った知識は、ペリー来航を目前に控えた幕府にとって非常に貴重なものとなり、彼は士分に取り立てられ、通訳や教授として活躍。坂本龍馬や勝海舟といった時代のキーパーソンに多大な影響を与えました。
この希望の物語が刻まれた大度海岸ですが、その約90年後には、沖縄戦最後の激戦地として多くの命が失われる悲劇の舞台ともなりました。像の近くにあるガマ(洞窟)には、米軍の火炎放射器による攻撃の跡も残っています。希望と悲劇、二つの全く異なる歴史が、この一つの海岸線に重なり合っているのです。
また、この大度海岸(ジョン万ビーチ)は、ウミガメの産卵地としても知られる自然豊かな場所であり、沖縄本島で屈指のシュノーケリングスポットとしても人気です。歴史だけでなく、美しい自然も楽しめる、非常に奥深い場所と言えるでしょう。


まとめ:一つの海岸に凝縮された沖縄の物語
糸満市の「ジョン万次郎 上陸の地」。ここは、幕末の風雲児ジョン万次郎が、世界を見て日本へ帰還した希望の地であると同時に、沖縄戦の悲劇が刻まれた記憶の地でもあります。
美しい自然の楽園でありながら、希望と悲劇という二つの全く異なる歴史が重なり合うこの場所は、現代沖縄を形成するあらゆる要素が凝縮された、非常に深遠な場所でした。記念碑に込められた万次郎の物語に触れることで、単なるビーチ観光ではない、忘れがたい歴史体験ができます。
沖縄南部を訪れる際には、ぜひこの海岸を訪れ、その多層的な物語を感じてみてください。










