映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』感想レビュー|可愛い絵柄が突きつける戦争の真実

「忘れられた戦い」ペリリュー島と出会った、あの日の劇場

『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は2025年12月5日に封切られましたが、私が観に行ったのはその翌日、12月6日の土曜日でした。朝一番の回のチケットを取って劇場に向かったものの、正直なところ「ペリリュー島の戦い」がどれほど過酷なものだったのか、恥ずかしながらほとんど知らなかったのです。

太平洋戦争末期の昭和19年9月15日から約2か月半にわたって繰り広げられたこの戦闘は、日本軍がそれまでの「バンザイ突撃」を禁じ、少しでも長く敵を足止めする持久戦へと戦術を転換した最初の戦いだったといいます。上陸した米軍の精鋭4万人に対し、日本軍守備隊はおよそ1万人。結果として、生きて祖国の土を踏めたのはわずか34人だったというから、その生還率の低さには言葉を失います。米軍がフィリピン奪還という本来の目的をすでに達成していたこともあり、この戦いは長らく「忘れられた戦い」として扱われてきたのだそうです。

上映前にこうした背景を調べながら、私は正直、少し身構えていました。凄惨な史実を扱う戦争映画は、時に観る側の心を消耗させすぎてしまうことがあるからです。しかし、劇場の座席に座ってスクリーンに映し出された田丸という青年の丸くて可愛らしい顔を見た瞬間、その予想は良い意味で裏切られることになります。

可愛いキャラクターが突きつける、目を背けたくなる現実

本作最大の特徴は、なんといってもそのキャラクターデザインでしょう。原作漫画から引き継がれた2頭身半から3頭身ほどの、丸っこくて愛らしいタッチのキャラクターたち。パッと見ただけなら、子供向けアニメと見間違えてもおかしくない絵柄です。

ところが、この可愛らしい兵士たちが、次の瞬間には爆撃で手足を吹き飛ばされ、内臓をさらけ出しながら息絶えていきます。そのギャップに、私は上映開始から数分で頭が混乱するのを感じました。「こんなに可愛い見た目なのに、なぜここまで容赦なく描くのだろう」と。

しかし物語が進むにつれて、この演出の意図がはっきりと見えてきます。もしこれが実写や、より写実的な頭身の作画だったら、あまりの生々しさに目を背けてしまい、最後まで直視できなかったかもしれません。デフォルメされた絵柄は、残酷な現実へのショックを和らげ、観客が物語の核心にたどり着くための入り口を作ってくれているのです。

それだけではありません。丸くデフォルメされた記号的な顔だからこそ、彼らは「特定の誰か」ではなく「どこにでもいる普通の若者」として観客の中に入り込んでくる。だからこそ、その若者が肉塊に変わっていく瞬間、失われるのが単なる一人の兵士の命ではなく、人間の尊厳そのものであることを痛いほど強く感じさせられるのだ。一方で、背景の南国の海やジャングル、飛来する戦闘機のメカニックデザインは驚くほど緻密で写実的。この対比が、本作の恐ろしさをさらに際立たせています。

田丸と吉敷、「功績係」という役目が背負った矛盾

物語の中心にいるのは、漫画家を志す21歳の初年兵・田丸均(声:板垣李光人)と、同期でありながら頼れる上等兵・吉敷佳助(声:中村倫也)の2人です。絵の才を見込まれた田丸に与えられたのは「功績係」という任務、つまり戦死した仲間の最期を遺族へ向けて手紙で書き記す役目でした。

ところが、ここに本作の核心となる残酷な矛盾があります。実際の戦場で兵士たちは、手足をもがれ、飢えに苦しみ、正気を失いながら無惨に死んでいく。それでも田丸は、その凄惨な死を「立派な勇姿」や「名誉の戦死」として、遺族を慰めるための美談に仕立て上げなければならない。事実を歪めることと、残された家族の心を守る優しい嘘をつくこと。この2つの間で、田丸は「何が正しいことなのか」という答えの出ない問いに苦悩し続けることになります。

そんな田丸をずっと支えていたのが、吉敷の存在です。冗談を言い合い、時に励まし合いながら、極限状態の中で生き延びる意志を分かち合っていく2人の関係性こそが、本作の情緒的な軸になっています。板垣李光人さんと中村倫也さん、お2人ともアニメ声優としては2度目の挑戦だそうですが、いわゆる「アニメ的」な演技に寄せすぎない、地に足のついた自然な声の芝居が、この物語にリアリティを与えていたように感じました。特に、板垣さんが役作りのためにペリリュー島を実際に訪れたというエピソードを知ってから見返すと、田丸の一つ一つの表情がより深く胸に刺さってきます。

【ネタバレ注意】原作から変えられた結末に、涙が止まらなかった

ここから先は、物語の結末に関わる内容を含みます。まだ鑑賞前の方は、観賞後に読んでいただくことをおすすめします。

実は本作、原作漫画とラストシーンが大きく変更されています。原作では、終戦を確信した田丸と吉敷が投降を試みるものの、徹底抗戦を譲らない島田少尉に見つかってしまう。吉敷は島田と銃を向け合い致命傷を負いますが、田丸はその瞬間に立ち会っておらず、吉敷の遺体も発見されないまま、物語は静かな虚無感を残して終わっていきます。

しかし映画版では、この結末が大胆に再構築されています。脱走を試みる途中、島田に見つかった吉敷が撃たれる瞬間、田丸はすぐ隣にいる。重傷を負った吉敷を背負って逃げるものの、力尽きて息を引き取る吉敷。翌朝、田丸は彼の亡骸を森にそっと隠し、たった一人で投降する道を選びます。そして最終的に、田丸が故郷の実家へとたどり着くシーンで幕を閉じます。

原作既読の方の中には戸惑う声もあるようですが、私はこの改変に完全に心を掴まれてしまいました。田丸が吉敷の死をその目で見届け、その重みを背負ったまま生き延びるという展開は、2人が育んできた絆を何よりも雄弁に物語っている。「生きて帰る」という願いが、たとえ片方は魂だけであっても果たされたことを示すこの結末に、私は劇場でこらえきれず涙をこぼしてしまいました。106分という限られた尺の中で、原作の精神性を裏切ることなく、映画というメディアならではの感情のカタルシスを成立させた脚本の手腕には、本当に脱帽するしかありません。

主題歌が残す余韻と、いま『ペリリュー』を観るべき理由

エンドロールで流れる主題歌、上白石萌音さんの「奇跡のようなこと」もまた、この映画体験を締めくくるうえで欠かせない存在です。凄惨な物語を観終えた直後の心に、そっと寄り添うような歌声でした。歌詞そのものをここでお伝えすることはできませんが、明日が来ること、愛する人の声で目を覚ませること、そんな当たり前の日常がどれほど尊く、奇跡的なものであるかを静かに歌い上げています。この曲を聴きながら、田丸と吉敷、そして島で命を落としていった名もなき兵士たち一人ひとりに祈りを捧げているような、そんな気持ちになりました。

作品の評価という点でも、本作は確かな実績を残しています。第49回日本アカデミー賞では優秀アニメーション作品賞を受賞し、世界最大級のアニメーション映画祭であるアヌシー国際アニメーション映画祭2026の長編コントルシャン部門にもノミネートされました。映画レビューサイトFilmarksでの評価も4.0(5,296件のレビュー時点)と、戦争を題材にした作品としては異例の高評価を集めています。

そして今、この記事を書いている時点でぜひお伝えしておきたいことがあります。全国325館で始まった劇場公開も、現在ではごくわずかな劇場での上映に絞られており、スクリーンで観られる機会は残りわずかです。しかしその代わり、2026年7月19日からNetflixでの配信がスタートすることが決定しています。劇場に足を運べなかった方も、もう一度あの感情を味わいたい方も、来週にはご自宅からこの物語にアクセスできるようになります。

まとめ|『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』が今の私たちに伝えること

戦後80年という節目に生まれた『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、可愛らしいキャラクターデザインという意外な手法を使いながら、戦争の理不尽さと、その中でも失われなかった人間の尊厳を真正面から描き切った作品でした。恥ずかしながら、私自身この映画を観るまで「ペリリュー島の戦い」という言葉すら知らなかった。けれど、田丸が功績係として綴った嘘の手紙も、田丸と吉敷が育んだ絆も、その一つひとつが、歴史の表舞台には残らなかった無数の若者たちへの、精一杯の手向けなのだと今は感じています。

世界のどこかで紛争のニュースが絶えない今だからこそ、この作品が問いかけるものの重みは、むしろ増しているように思います。劇場での上映が終わりを迎えつつある今、そして来る7月19日からのNetflix配信を控えた今こそ、まだ本作に出会っていない方にはぜひ一度、田丸と吉敷が生きた2か月半を、その目で確かめてみてほしいです。

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